医会の紹介

会長挨拶

静岡県眼科医会ホームページへようこそ。

令和4年4月1日より静岡県眼科医会会長を務めさせていただくことになりました。

静岡県眼科医会は、静岡県内の眼科開業医と勤務医(眼科診療所、市中病院、大学病院の眼科医)のほとんどが会員となり構成されています。
眼科医療のための新しい知識の習得や眼科技術の向上のために、集談会、講演会の開催等の活動を行っています。また、子供の視機能の健全な発達のための学校検診、三歳児検診等への参加、眼球摘出医・角膜移植医として静岡県アイバンクへの協力等の活動をしております。
これからも静岡県の眼科医療の充実と静岡県民の皆様への眼科知識の普及に、静岡県眼科医会として貢献したいと考えております。
このホームページでは、目の病気に関しての様々な役立つ情報も掲載しておりますので、県民の皆様に是非ともご活用いただきたきたいと思います。

静岡県眼科医会 会長 高良俊武

 

会の歴史

静岡県眼科医会誌創刊号(30周年記念)によれば、昭和27年10月第一回眼科集談会と総会が開かれ、初代会長に「静岡の雨宮」と名高かった雨宮二郎先生が就任されました。昭和44年雨宮二郎先生が御病気のため会長辞任後、小川昌之先生の御尊父小川博先生が2代目会長に就任されました。
昭和38年10月の遠州眼科懇談会後に中安周平先生を中心として遠州眼科医会が発足し、翌昭和39年沼津に於いて本田傳先生を中心として東部眼科医会懇談会、後の東部眼科医会が発足しました。一方、中部に於いては昭和46年1月より臨床茶話会が発足し、現在も中部茶話会として活動しています。小川博先生は日本眼科医会監事として本部とのパイプ役となり、10年間会長を務められ、昭和53年市川健三先生に会長職をバトンタッチされました。
3代目会長の市川健三先生は平成2年11月23日に急逝されるまで、静岡県視覚障害者福祉推進協議会会長、静岡県アイバンク理事長、日本眼科医会監事などの重職を兼任され、現在ある静岡県眼科医会の骨格を築き上げられた大功労者と言っても過言ではありません。
市川先生の後を継がれたのが4代目の小川昌之先生で、5期10年の長期にわたって会長として、会の勢いを落とすこと無く、会員をリードしていただきました。

平成12年4月より5代目会長となられた中村好邦先生は、この時期、眼科医会勤務医会員が増加したため勤務医部会を立ち上げ、全会員の会費の自動振込み、i-FAXによる情報の伝達など会の運営基盤をつくられました。

平成16年4月より6代目会長となられた石川靖彦先生は高度情報化、IT化の時代に対応すべく、ご自身の医院内に静岡県眼科医会事務局を立ち上げ、これを機に眼科医会専属の事務職員を雇うことになりました。

平成20年4月より7代目会長として3期6年間務められた柳田和夫先生は、メーリングリストによる情報の伝達、ホームページの開設、運営に尽力されました。
アイバンク眼球摘出活動が評価され、静岡県眼科医会が平成22年には今泉賞を、平成23年には日本眼科医会会長賞を受賞しました。

平成26年4月より8代目会長会長として2期4年務められた飯田文人先生は、静岡県医師会館内に小児科、外科と合同で事務室を借り、静岡県眼科医会事務局が開設されました。

平成30年4月より9代目会長として2期4年務められた川村洋行先生は、コロナ禍で会場に集まる講演会等の開催が難しい状況となった為、配信会社の選定・申込方法の手順・各所との打合せを重ねてWEB開催運営に尽力されました。また、コロナ感染等による立ち入り禁止になった場合に備え静岡県医師会館内の事務局をリモート操作できるシステムをつくられました。

令和4年4月より高良俊武先生が10代目会長に就任されました。

役員の紹介

名誉会長 飯田 文人
会長 高良 俊武
副会長 瀬尾 孝寛(東部)  石川 浩平(中部)  小出 健郎(西部)  彦谷 明子(勤務医:浜松医)
東部
石川 友昭   小野 純治   木村 裕子   杉浦 毅   吉村 弦             土至田 宏(順天堂)   藤谷 暢子(勤務医)
中部
高良 由紀子   下山 勝   鈴木 徹   羅 錦營

松永 寛美(勤務医)

西部
青沼 秀実   浅井 竜彦   家田 貴子   兼子 周一   永田 豊文

尾花  明(勤務医)

監事 藤田 昌弘   川村 洋行
総会議長 湯口 琢磨
副議長 名古 良輔
裁定委員 桑名 祐一郎   中村 好邦   畠山 眞行   矢田 清身   柳田 和夫
顧問 堀田 喜裕   矢田 清身   柳田 和夫
代議員 高良 俊武   小出 健郎   瀬尾 孝寛
予備代議員 石川 浩平   彦谷 明子   青沼 秀実